ねばねば...好きっすか?
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ご存知の方も多いと思いますが、坂村真民さんの詩です。
坂村真民さんについてはこちら↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9D%91%E7%9C%9F%E6%B0%91
念ずれば花開く
苦しいとき
母がいつも口にしていた
この言葉を
私もいつのころからか
唱えるようになった
そうしてそのたび
私の花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていた
**************
私はこの詩のような心が好きです。
近所のお寺にある母子観音様の写真。 足元にすがる子供に焦点をあてました。
もしかしたら、この仏像はこの子が主役なのかもしれません。
欲しいもの、必要なこと、何もかも悟っている赤子は、お母様の足元にすがって、そして自分の生命力をフルに生かしているのだと思います。
このこと、大人になって独立したからといって忘れてはいけない気がします。
自分を生かすこと。必要なこと、必要な人、欲しいものにすがること。
この事と、念ずるってことは、同じ世界のことかも。
ふとそう思った。
愛すること、好きなこと、必要だとおもうこと、みんなみんな、自分の気持ちは大切に守ろう。
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彼女はいつも日の出の時間頃、私のベットに来ます。
私も彼女が来れるようにドアを開けてある。
廊下を歩く音。 寝ている私の顔に吐息(鼻息)を吹きかけます。
「ふ~~~~」
そうして私の足元の方から、ベットに這い上がります。
18KGの彼女は、人間よりも小さいけれど、ベットの上ではかなりの場所をとります。 人は縦に寝れるけれど、彼女は手足を前に出した状態で横になるので、人よりも幅があります。 しかも丸まろうとします。
私は場所を空けてあげます。そうしないと、お気に入りの場所をとろうとするから。
そのお気に入りの場所とは、私の股の間で丸くなること。そうすると、アゴを私の股に乗せられるし、いい感じみたい。
私の方は、身動きがとれず、だんだんアゴの重さで痺れてくるし。
そんな感じで、ごそごそっと場所を決めると、お互いにナデナデします。 私は手のひらで、彼女は舌を使って。
そうして、私が起きるまで、しばし朝のベットタイムを過ごします。
下の2枚目の写真は、キスしてるところ。 公開しちゃいます。
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最近の写真をデジブックにまとめました。
30日限定公開です。(だって、デジブックってケチだからそれだけしか観れません)
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仕事での葛藤、これってどんなに立派になっても、ずっと続くのだろうな。
人には、その人に必要な、乗り越えるべき問題が表れる。 人のステージが上がれば、問題も大きなものになる。 でもどんな問題も、その人の度量にあった、相応しい問題だ。
問題が大きければ大きいほど、その人のステージも高いのだ。そう信じて、頑張ろうと思う。
「憂き事の、なほこのうえに積もれかし、限りある身の力試さん」
そうだ、自分の力を試してみよう。
「誰にでもはじめてはある」のだし、「間違ったと気がついたら、正しくやり直せば良い」なのだ。
だから、解決できない問題など、この世に存在しない。 どんな問題も、逃げなければ解決できるはず。
写真はある仏像の足元です。
邪気を踏みつけています。
つまり邪気とは、「私には出来ない」ってあきらめることです。
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先週、祖母の3回忌にいった。 そのとき、祖父の話題がでて、祖父は深大寺で修行をしたと聞いた。
祖父は群馬県の小さな天台宗のお寺の住職だった。
深大寺は私の家から近い。 蕎麦が有名。 息子も蕎麦が好きなので、何回か食べに行ってる。それから、お寺の近くに深大寺温泉がある。 私のお気に入り温泉。
でも、深大寺に参拝したことはなかった。 こんかいはじめて行って見る。
参道はこんな感じ。
道に水路があり、やはりお蕎麦屋さんが並んでる。 いいかんじだなぁ~。
ここが水源みたい。
なんか、水神様のような像がいる。
お寺の山門を見ると、やはり天台宗だった。 おじいちゃん、ここでお坊さんの修行したんだね~
この時期お決まりの睡蓮もいたよ。
本当は、写真はいけないのかも。 でも写真禁止って表示がなかったので、仏様の写真も撮らせてもらいました。
庭園の池にも、水を守っているような仏様がいました。
七福神もいます。
ある時代の仏教って神様もご一緒にって感じですね。
東京では、近場の観光スポットになります。 深大寺。 悪くないよ~。
朝にまず近くの神代植物公園、お昼は深大寺蕎麦、それから最後に深大寺温泉「ゆかり」にいって、一日を過ごすの、けっこうお奨めです。
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2回目の夏。ワンコは夏が苦手です。
お散歩はどうしてもアスファルトの道を通らなければならないし。 アスファルトは足裏がヤケドするほど熱くなる。
とりあえずエアコンの効いた部屋でマッタリ過ごす。
どこか遊びに連れて行ってくれないかな~ 自動車に乗れば、いつも楽しい事が起こるんだけど。 広い草むらのあるところとか行ってみたいな~
ワンコにカミカミのおもちゃをみせてみる。
「あっ!」
速攻で噛み奪う。 お気に入りのソファーの上に持っていく。
「あああ~ 噛むって幸せ~」
どう? 楽しい?
「あたりまえじゃん。噛めるんだよだって!」
そして、15分後.....
いつものように、ちゃんと壊してくれましたね~。
この繊維、しばらくウンチに混じっていると思います。 以前赤い繊維のやったとき、ちょっと出てきたときの色に驚きました。
こんどは青いウンチだね。 どんなだろう~
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蓮の花の写真を撮りたい。
そう思って、埼玉県行田市まで出かけました。 蓮は早朝に花弁が開いて、午後には閉じてしまうので、4時にバイクで出発。
6時に到着しましたが、もう駐車場満車。既にすげー賑わっていました。
株の多さに圧倒されました。
公園内にはたくさんの池があり、どこも蓮がびっしり。
ご覧になりたい方はこちらを参照下さい↓
http://www.city.gyoda.lg.jp/11/05/10/ivent/hasumaturi_090719.html
はずの花は、透明感があり、とてもきれいですが、実はお祭りが賑やか過ぎるくらい力が入っています。
早朝から、音声ガンガン、イベント盛りだくさん。
もちろん、おきまりの出店もたくさん出ています。私はなんとなく焼きそばに惹かれて、蓮と人込みを眺めながら、食べました。
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辛い恋愛をしている人、失恋してきづついた人に、「自分を愛してね」って声を掛ける。
自分の愛し方は色々あります。その一つに「誰か違う人とセックスをする」ってのがあります。
これって、強い薬です。 心の中では他の人を想い、悩んだり傷ついている。 そんな気持ちのなかで、他の人とセックスしてみる。
そのセックスの相手と、心が通うことは期待できません。でもセックスは出来る。 淫乱に溺れることだってできる。
自分を悦ばせてあげたい。そう考えて、できる事は何でもする。つまり、ものすごい我侭になる。
良いこと、悪いこと、そんな区別はせずに、セックスして何かを感じてみる。
私は今まで、何だかんだいって、そんなふうにして、立ち直り、新しい恋に向かっていきました。
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私が影響を受けた人生訓のような言葉や教えの一つに、「正しくないならやり直す」ってのがあります。
正しくない、自分が間違えたらやり直すのは当たり前の事なのだけれど、これさえ出来ればいいのだけれど、実際は「間違えてもやり直さない」から、何か変なカルマのようなものが溜まって、迷いや苦しみが生まれているのかもよ。
私は中学生の時に本多勝一著「山を考える」という冒険に関するドキュメンタリーを読み、そこに展開されていた”ある考え”にしびれるような感銘を受けました。
その”考え”とは、遭難を防ぎつつ冒険を成功させるものですが、冒険に限らず、自分の仕事や生活、普通の「生きること」に役立つものです。
人は間違えを犯します。登山などの冒険では、間違えたまま進めば、遭難してしまいます。 「山を考える」って本のコメントには、こんな言葉がありました。(昔の記憶なので、私の言葉に変換されていますが...)
人は神様ではないので間違える。いつも正しいなんてありえない。正しくないならやり直せば良い。そうやって、いつでも間違えに気づいたときに、やり直すことを続けていれば、その人にとっては、いつでも最高に正しかったと言える。
正しくなければ間違え。正しさは絶対的なもので、登山みたいにして到達するもの、そうイメージしていた私(当時中学生)には、目からウロコの考えでした。
「なんだ、正しくなかったらやり直せばいいんだ~」
登頂だけが成功ではない。天候が悪化したら山を降りる勇気を使うこと。そうすれば、正しい冒険は可能だ。
これが本が伝えたい哲学なのだろうけど、当時の私は言葉の良いとこ取りをして、なにか間違えを犯しても、「ああ、べつにかまわないさぁ、やりなおせばいいもん」そんな楽天的、脳天気的態度に応用しました。
この本にあった「正しくないならやり直す」って考え、再び思い出して、何度も自分に言い聞かせています。 仕事に関することで。
今の職場はおかしくなっている。 私に出来ることは、正しいことは何?って考えて、それに従うことだけ。 もしも間違えだと気がつけば、やり直せばいいんだ。
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私が本とか、聞いたことで感銘して、大切にしてきた言葉がいくつかあります。 座右の銘なんて言えるほど含蓄あるものではありませんが、ちょこっとご紹介します。
「誰にだって初めてはあるのよ!」
これは昔、NHKでのドラマ”大草原の小さな家”の中で使われた台詞です。私の記憶に打刻されました。
ドラマでは、西部時代、馬車を使った遊牧的な古き良きアメリカの家族の物語を描いています。家族は、家族思いで優しい父親、良妻賢母の母親。それから賢い姉と、オテンバの妹の四人で、様々な事件や困難を乗り越えていく。
どんなストーリーだったか忘れたけれど、末っ子の娘が、なにか失敗したとき、周りから咎められてもめげないで言った台詞。
「誰にだって初めてはあるのよ!」
何気ないこの言葉、私は大好きになりました。改めてこの言葉を思い出し、名言だと思います。
どんなに経験を重ねたって、必ずはじめての事ってあります。 ところが、ある程度経験を重ねると、自分が小心になり、知らないこと、新しいことを恐れて、保守的になって、何も行動を起こさないことがあるように思えます。
写真はとんびです。
最初からちゃんと飛べた訳ではないのだと思います。でも必ず飛べるようになるのだから、「誰にでも初めてはある」そう思って、望みを叶えれば良いのですね。
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仲間がいた。
仲間って、そこにいるから仲間なんだ。
「こんにちは」.....人間ならそう言います。 ワンコの場合には失礼もヘッタクレもないし、自由に匂い嗅いだり、見つめたりしていいです。
そっと近寄っていくのが「こんにちは」です。
「何やってんすか? うまいっすか?」
「何やってんすか? うまいっすか?」
「何やってんすか? うまいっすか?」
こんな独り呟きながら、何やっているのか、美味しいのか確かめます。
ワンコの世界は武士の世界。 隙があれば即座にやられる。
「てや~」
気合が入る。 即座に枝を奪われる。
「おぬし、やるな!」
でも、他の枝もあるんだから、並んでかじろうではないか。
「いつのまにか、私たちは友達ね
」
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世には色々な人がいる。
私から見て、これは酷いとか、こっちが善くて、こっちが悪い。 そんなこと言っていたらきりがない。
周りがどうだというよりも、自分の自己評価がどうだ、こちらの方が重要だ。
ほとんどの場合、人から言われた事より、自分が自分に言った言葉が重たい。
人の言葉は私を傷つけることはできないけど、自分が感じたこと、自分が自分に放った言葉には自分を左右する力がある。
正当な自己評価。 恋愛でも仕事でも。自分を信頼して、自分を愛すること。
それが大切だとは知りつつも、そうはイカの金玉だ。
ついつい人の言葉に左右されるもの。
それはどうして?
ふっと思ったのは、「世の中には色々な人がいる」
だから、個人はそのいろいろな人に謙虚であるべきだと信じて、感受性を持っているからではないかしらん。 感受性は人の能力だ。
白がいい。 ピンクがいい。
そうじゃない。「白があって、ピンクもあるね、両方きれいだね」そう自然に思えることが、自分を信頼して愛することじゃないかな。
そう感じたら、そう言ってもかまわない。 勝ち負けや優劣、つける必要はない。 いろいろな人がいる。 それでいいじゃない。
そんなことより、自分を愛しましょう。
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ドックランに来ている飼い主さんは、ワンコを思い切り走らせてあげたいと思ってる。
だから、ワンコ同士が気の合う相手を見つけて、一緒に遊んでくれて、走り回ってくれるととても嬉しくなる。 「ありがとう」って思うよ。
「ひゃっほ~い」 気持ち良さそうに走ってる。
でもね、この季節はちょっとどうかな~。 私はワンコの為に我慢してるけど、雨上がりのドックランはちょっと大変な場所です。
悪魔のような水溜りがあるんですよ~
「がるるるるる~」 水溜りを蹴散らして、走る!走る!
これぐらいなら良いんですがね........ 悪いことって楽しいでしょ。 わざと汚れてみたくなるんですよ~
こうなって............
ああなって...........
こうなっちゃったりするんです。
「楽しかったね。 さあ、車乗って帰ろうね~」
そう言ってる私の顔は、おもいきり引きつってしまいます。
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今朝通勤の渋谷駅でのこと。
私は井の頭線から埼京線ホームに乗り換える。 ここ、信じられないほど乗り換えの距離が長い。 同じ駅だなんて、詐欺だよって思うくらい移動に時間がかかる。
通路を移動する人込みの中、あきらかに慌ててる女性がいた。 金髪の外国人。 肩からたすきにソフトバックをかけ、キャリアバックを引っ張り、急いでいる。 でも人込みで進めない。
「ああ、成田エクスプレスに乗るんだな」 そう思った。 成田エクスプレスは、不便な埼京線のホームから出てる。 そういえばこの時間列車が来てたな。
毎日この通路を使っている私には、経験的に彼女が列車に間に合うとわかる。でも彼女はパニックみたいだった。
「間に合わなければ飛行機を逃すかも」こんな状態だったんだろうな。
その気持ちはよくわかる。私も何度も慌てた経験がある。
私の場合、ニューヨークからロサンジェルスにアメリカンで向かうとき、シカゴ乗換えだった。 乗り換えのシカゴについたとき、つなぎのフライト出発10分前だった。 早朝の飛行機だったので焦った。 乗らなければ会議に間に合わない。
シカゴのターミナルをダッシュ。とにかく走った。とうてい10分で移動できないけど、あきらめなかった。 5分遅刻でゲートに着いた。 息を切らせてカウンターに訴える。
「私を乗せてせて下さい!!」
必死の形相の私を見て、アメリカ人にしてはめずらしくちゃんと対応。 すぐチケットをみて、システムを調べてくれる。
カチカチカチっとPCのタップ音。 そして一瞬「あれ?」って顔して、微笑んだ。
「まだ早すぎます」
時間は過ぎている。早すぎるって何? 自分の時計を見て「あっ!」っと思った。 アメリカの中部時間は1時間遅いんだった。
自分の失敗に気がつき、大げさなジェスチャーをしてみせる。「やっちまった~」
「コーヒーを飲んでリラックスしたら?」ってサジェッションを受ける。 えへへへ。 間に合ったんだ。
その時の出来事を思い出した。 感の通り、焦って走っていた女性は列車に間に合った。 何か話しかけてあげようと思ったけど、叶わなかった。 人込みにまみれて、出来事は流されていく。
私がアメリカでやったミス。 あの時は911事件が起こってすぐの10月だった。私が乗ったアメリカン航空はガラガラだった。
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自分の事、改めて考えるようになった。
誇りに思っていた仕事、それがどんどん変化していった。企業の吸収合併が起こった。
正直、勝ち組だと思っていた。絶好のポジションについたと天狗になった。 それが、経済不況のあおりを受け、台風のような内部抗争に巻き込まれた。
これが私の「鬱な感じ」の始まりだと思う。 もともと、楽天的で、何事にも自信のある私だったのに。
利己的で小賢しい人たちの毒気にあたった。 それだけじゃなく、露骨な敵対心、競争心、今まで有利だったものへの復讐、そんなものがあからさま。
人間ってすごいな。 悪い意味でだ。
自分はどうするべきだろう、このごろずっと考えている。考えはなかなかまとまらない一方で、焦りや緊張、プレッシャーに耐えられないって思いも重なってきた。
追い詰められてきた感じ。
そこで、悩みながら、動揺したり、ガッカリしたりしながら、自分の事を考える。考える。 どうする? 私って結局何? どんな性格? 何が出来る?
そんな思索の中のキーワードの一つに「ポジティブ」がある。 前向きで明るい考え方、これは私の長所。 だった.......。 長いことそうだったはずなのに。今は違ってる。
そこで考えたこと。
私はポジティブって意味を、勝ち負けの「勝ち」、前後ろの「前」、善悪の「善」、そんな二極的、相対的な意味で使っていたのかもしれない。
自分の信じたポジティブは、人から評価されて、「優れている」って思われるようなことだったのかもしれない。
もしも環境が変わり、人から評価されなくなったら、いわゆる「負け組み」になりつつあったら、それは前向きではなく、後ろ向きになっちゃった、環境が変わったからしかたないね、そんな意味になるのかしら。
「前向きは」人の目が決めることか?
まさかね。そんなことありえないのに、自分は何を信じてきたのだろう。
仕事で頑張って、自分を誇りに思っていた。 でも同時に人の評価を期待してきた。 それが私の使ってきたポジティブの意味だ。
自分自身の、そのことに気がついた。
さて、そろそろ悩みを消し去ろうと思う。 本当のポジティブになろうと思う。 どうしたらいいか、働きながら考えるけど、もうジタバタしたくない。
人に喜んでもらえること。
感謝しながら働くこと。
仕事に好き嫌いを言わないこと。
これらは本物ののポジティブな思いだ。 そうなろう。
小さな花瓶に生けられた花でもいいじゃないか。
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