クリスマスイルミネーション 新宿駅南口
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MHKの番組「新日本紀行」って番組知っていますか? 私は子供の頃から大好きです。 あの主題歌、渋くていいですね。
この他、「遠くへ行きたい」って番組と主題歌も良いですね。
子供の頃から旅には特別な意味とロマンを感じています。
私は中学3年から一人旅をはじめました。ユースホステルの会員になり、僅かなお小遣いで、色々な場所に行ってみた。 「旅に出れば何かが変る」そんな期待を持って、どんどん出かけていった。旅の計画に胸が躍りました。
小田実さんの「何でも見てやろう」に影響を受け、海外を夢見ました。 結局その頃の気持ちが、今の職業に結びついています。 私の勤務している会社は外資の会社です。
この頃の旅は家族旅行か仕事の出張。 どうしたら楽しめるか。どんな食事やホテルを選べるのか、そんなことばかり。 昔のようなロマンは感じません。
本当の旅は、ゆっくりしたリズムの移動と独りの時間。 不安と寂しさ。 明日をどうするのか考えながら、自分自身で行動するものだと思います。 今のように、ガイドブックの情報をカタログのように使い、レディメードになった、誰もが同じ体験をする、そんなものではないはず。
慣れない土地で迷ったりして、孤独を感じながら、丸裸の人間になって、自分自身のことを考える。それが本当の旅だと思うので、なるべく普段の生活に結びつくもの、携帯電話なんかは無い方がいいかもしれない。
それから、移動は新幹線や飛行機のような便利なもので無い方がいい。 鉄道だったら、ここに貼り付けたようなリズムのものが、旅って感じです。
生活に忙しいけれど、時には旅に出たいものです。
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君がいてくれるから、すてきな朝だとおもう。
ワンコの春は、リビングに自分の寝床があるけれど、朝の6時半くらいに、必ず私のベットに来てくれる。
トコトコトコって音が聞こえると「あっ!春が来た」って夢心地で思う。 アゴをちょこんってベットに載せて、私の顔をクンクンして、その後ペロペロのキスをして、私をおこしてくれる。
「おはよう。いいよ、おいで。」って言うと、私のベットにヒョコンとあがって来る。 ちょっと抱きしめたり、撫ぜたりしてあげると、尻尾が布団をリズミカルに打って、バタバタって音がする。
しばし、朝の甘い時間を過ごす。 春は「ふぅ~」って大きなため息をついて、私の足元に丸まって二度寝。 春の身体は大きいので、私は狭いななんて思ってる。
一日の始まりが、君との優しい時間であることはなんて幸せなことだろう。 窓からの朝の光と、君の優しさ。
春ちゃん、いつもいつもありがとう。
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科学雑誌 Newton 今月号は「波動」です。 「あっ!面白そう。」 書店で即買い。
科学の教養はまるでないけど、Newtonは美しいグラフィックとわかりやすい説明で構成されていて読みやすい。 この世の不思議なこと、最先端の科学ではどのように考えられているのか、とても知りたいから、楽しく読める。
「波動」とは、打ち寄せる海の波のように、振幅が移動することですが、雑誌のサブタイトルに書かれているように「素粒子の世界も支配する物理学の根幹」らしい。
なるへそ。素粒子って物質のおおもとみたいなものだから、何もかも「打ち寄せる海の波」のような性質をもって、存在してるってことなのだろうと思う。
雑誌を読み進めながら、「もしかして、人の心にも波動があるのかしらん」なんて想ってみる。
仏教の「諸行無常」の考えは、なにもかも常ではなく、移ろっていくものだって意味だとらしいけど、もしかしたら波動のようなものかも......なんて想像してみたりする。
気持ちって伝わる。 恋の気持ちは互いに共鳴する。 やっぱ波動に似てる。 エッチしていて、身体を突き抜けるような快感も波のようだ。 恋人との気持ちのズレを不響和音なんていい方も出来る。 もともと音は波動の一種。 気持ちって不安定な波のようなものなのかな。
雑誌Newtonの記事の冒頭、「波とは、何だろうか?」に、とても興味深い説明があります。 「波動とは、ある点で生じた振動が、周囲に広がっていく現象」、だけども「波が広がると言っても、何かの物質が波といっしょに進んでいくわけではない」。 例えば湖面に落ち葉があって、そこに波が進んできても、波は落ち葉を通過するだけで、落ち葉は波とともに移動したりはしない。
この事から、やっぱり心や気持ちは波のようなものだと思う。 例えば恋人の言葉で心が揺れたり、心が傷ついたりって経験はあるけど、心って、それによって変容したりはしないと思う。 どんなに傷ついても、お腹が減ればご飯を食べるし、ウンチもする。 いくら失恋を繰り返しても、新しい恋をして、セックスをする。
心が傷つくって言葉は、本当は心そのものが傷ついたり、変ったりしているのではなくて、小波や大波みたいな振動が起こっているだけって理解すると、なんだかシックリいくような気がします。
心にも波動がある。 科学がそこまで証明してくれたらいいのにな。
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セックスのテクニックを大公開。 なんてね。 大したことは書けませんがトライ。
最初にテクニックの目的が何か。何の為のテクニックなのか。 図で説明しますのでご覧下さいませ。
縦軸は「気持ちいい」 横軸は「時間の経緯」です。
セックスしてる時ってこんなふうに快感の波がありませんか? 良くなって、少し引いて、また上昇してみたいな。
だんだん自分の感じている気持ちいい度合いが、上昇していく。 それで、ある限界まで到達すると、果てちゃう。 図では赤の点線で表しているレベル、「気持ちいい」の高さが「いっちゃう」臨界点です。
この臨界点の高さは、セックスの質によって違うのではないかと思います。 つまりちゃちゃっといっちゃう、あっさりしたものは、臨界点は低く、快感の刺激は弱いけど、濃厚でじっくり愛し合うようなセックスはいっちゃう時の臨界点が高く、快感の刺激は強いのではないかな。
果てたって結果は同じであっても、その時の快感の度合いは大きく違うと思います。
私が考えている良いセックスって、この臨界点の位置が高いって事です。
その為のテクニックですが、指や舌の使い方や、刺激する場所を考えてみる前に、もっともっと基礎的なものがあると思います。それは「気持ちの使い方」。
気持ちは、「本気でいやらしくなる」これがポイントだと思います。 没頭してしまうこと。何もかも先入観を捨てて、自分のしてることをエロチックでいっぱいにすること。 こころをそんな感じに切り変える事が、一番効果的なテクニックではないかと思います。
たとえば、キスだったら、唇の感触、唾液の濡れ方なんかを意識して、それを思い切り味わってする。ちゃんと丁寧に気持ちを使ってキスする。
何でも上手になる為には、心の起き方が大切だと思います。 スポーツでもそうですよね。 例えばスキーだったら、「谷に腰を落とす気持ちで!」なんて教わったことある人もいるでしょ。 そんな感じで、しっかりイメージを持つこと、気持ちの置き所が大切なテクニックだと思います。
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「憂い事の なほこのうえに 積もれかし 限りある身の 力試さむ」
こんな言葉に出会いました。 熊沢藩山と言う人の短歌。 私は古語が苦手だけど、こんな意味に解釈してます。
悩み事に、悩み事が重なって、やんなっちゃう。 でもがんばってみっかな。 (意味違ってたらごめん)
ここでの、「力試さむ=がんばってみっかな」のところ、積極的で好きです。
タイトルに「恋愛も積極的に」って書きましたが、がんがんアタックする、次々に恋愛するって意味ではありません。 「がんばってみっかな」の意味の方です。
恋愛を続けていると、色々な憂い事って出てくるでしょ。 例えばだけど、相手の人が他の人とお付き合いしてんじゃないかって疑ってみたり、なんだか不響和音が聞こえてきたり。
憂いを感じて凹んでくると、辛い想いがたくさん積もっていくような様子になります。 それによって心が折れてしまったら、よい結果は生まれようもありませんね。
だから、恋心は折れないようにしなやかに使わないといかんなと思います。 出会いに感謝してる、今お付き合いできてることを嬉しく思う、そのことを忘れないようにする。
「もしも自分が相手の立場だったらどう思うかな」そう思って、真心でお付き合いする。 憂いごとがあったとしても、真心の姿勢を貫くこと、それが積極的ってことだと思います。
心優しい事が本物の積極的かも。
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これは私自身への忠告でもあります。
困ったことがあったら、身近な人に相談しましょう。 大人になると、遠慮やらなんやら、躊躇しちゃうようなことほど、相談が必要かもしれません。
本当に困った事って、本当はなかなか起こらないと思います。 ある説によると解決できない問題って、起こらないそうです。 また問題が起こるのは、その人が解決できる範囲内だそうです。 この説、私は支持できます。 今までの私に起こった様々な問題、それはちゃんと解決されて、今の私がいるのですから。
みんな解決できることだとしても、その問題が起こってる当時は、シリアスに凹んでいたりします。 そんなもんだと思います。 いつだって、「早く何とかしてよ!」そんな気持ちでした。 でも通り過ぎてしまえば、「ああ、ちゃんとなるようになった」って感じです。
問題に直面しているとき、慌ててはいけません。 ”なるようになる”には時間がかかります。 そんな時は不安です。 そのときに頼りになるのが人の助けです。 困った時は、必ず助けてくれる人がいます。
私は思うのですけど、実は、困った問題、どうしょうもなく大きな問題って、答えは一つです。 人の命の問題とか、生活を大きく変えるような大問題には、おのずと答えがあります。
例えば、健康問題。 何か怖い心配があって、専門家の医師に相談するのを躊躇していても、それは誰が考えても、早く診断してもらった方が良いってのが答えです。 早期に問題を把握できたら、悪化をくい止められるからです。
だから正面切って、正しい行動をして、真剣に問題と取り組むことが、解決の最も良い方法です。
だけど、心細くてそれが出来ないときがある。 その為の相談です。 誰かに打ち明けること。 それで勇気を得ること。
本当に困っていたら、その人を助けない人なんていません。 もしも恋愛中だったらその相手に、心配事、困ったこと、悩みなんか、早く打ち明けるのが良いです。
躊躇は先延ばしです。自分で解決するつもりでも、迷っていたら、勇気をもらうために、相談したい相手に、相談しましょう。
出来れば、一生涯、そんなふうにして、助け合って、それがありがたいことだと思って、人生は悪くない、同時に何でも解決できた、そんな生き方をしましょう。
言いずらい? 言っちゃいなよ。 悪いことにはならないよ。
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犬とネコは仲良しになれる?
子供の頃から同居していたら、けっこう仲良しみたいね。 でもワンコ的「遊ぼう♪」なアプローチだと、ネコは相手にしてくれないみたい。
ネコはこちらから近寄ると逃げてゆくこと多い。 だからネコと仲良くなりたかったら、何気に近くに行ってじっとしている方がいい。 ネコの方からスリスリしてくるのを待っていると、人間の背後のほうから、慎重によってきて、甘えてきたりする。
ワンコの方は、甘えるではなく「遊ぼう!」って感じで真正面から来る。人間をみて、こりゃいけると思ったら、遠慮なく足元だろうが、股間だろうが、匂いをクンクンかいで、尻尾フリフリして、ナデナデしてもらいたがってる。
ネコは慎重。 ワンコは積極的。
ネコの発情期、夜中にネコ同士の唸りあいを聞いたことあるでしょ。 う~って互いに威嚇しあい、なんだか戦いのような交尾。
ワンコは真昼間から、したくなったらいきなりって感じ。 背中に飛びついたとたん、腰をフリフリする。
さて、人間の場合は? 猫的慎重+ワンコ的積極かな。
ワンコはあまりに素直であからさま。 もうちょこっと人目を避けて、月夜の晩に逢引するネコのロマンチックさのほうに一票をあげたい。
ネコはあまりに慎重すぎて素直さに欠けるかな。 真正面から直球を投げるワンコの誠実さに一票をあげたい。
もしもネコ的、ワンコ的な男女の組み合わせで恋愛していたら、仲良くなれる? 「互いのことを理解する」姿勢があれば、たぶんなんとかなるでしょ。
いきなり「遊ぼうよ」ではなく、近くにいて、相手が甘えるのをそっと待てれば。
上手に甘えさせてくれた、かわいく甘えてくれた。 互いにそう思えるかもね。
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私はエッチが好き。 正直に言うけど、気が合う異性なら誰とでも出来る。 でも恋人がいるときは誰とでもエッチするわけじゃない。
エッチは基本的にいつでもしたい。 したくないときはよっぽど凹んだとき。
エッチに誘う時って、恋をはじめているような不思議な感じ。 私の場合は、その場のノリで誘ったりはしない。 やっぱ今夜誘っちゃおうかなって感じの、事前の決意みたいなものがある。
そこでの疑問。 はたして本当に恋してるの? エッチしたいだけなの? 実際は両方入り混じった複雑な気持ちだ。
エッチしてるときは、まじめに「愛してる」って気持ちになってる。 よっぽど相性が合わない人以外はだいたいそうだ。 だからいっちゃう時は「愛してる」って叫びたくなる。
エッチした後、どんな気持ちになるかはそのつど違う。 あれれ、ちょっと馬鹿やっちゃたかなって思うこともあるし、嘘みたいな奇跡的な出会いだって思うこともある。 当然、奇跡的な出会いのほうは、ずっと永遠に仲良しでいたいって願ってる。
恋人とのセックスは深さが違う。 すごく幸せ。 私は一旦恋人に出会うと、もうその人しか見えなくなる。 毎日その人とエッチするには一緒に暮らすしかない。 そうもいかないので、オナニーしたりする。
オナニーするときは、その人の名前を呼んで果てる。 なんどもそうすると、それが当たり前の事になる。 私はそれがちっとも恥ずかしくない。 恋人にオナニー見てもらいたいから、PCのカメラの前でしたりする。 いつでも本気。
恋人とセックスする時は、あんがいと笑いながらだったりする。 冗談言ったりもする。 ふざけたりもする。エロモードの真剣さもあるけど、同時に楽しいって思う。 それでいて、快感は別格に深い。
私はセックスってどこかユーモラスだと思う。 真剣さと楽しさが混在していて、そのギャップは大きい。 セックスは重くて軽いもの。 常に貴重な価値の高いものであると同時に、どこにでもあり、エンターテイメント性のあるものだ。
セックスって面白いね。
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週末は代々木公園のドックランに行きます。 今年の夏ごろから通っています。
ここは施設や環境も良いし、お気に入りです。
朝、ワンコに「ドックランに行こうね」って話しかけます。 すると、ワンコはいっきに元気が出てきます。 いつもの散歩のしたくをして、玄関を出ます。 私が車の方に誘導する。 すると、「やっぱドックランだね♪」って感じで、嬉しそうです。 車のドアを開けると、元気に飛び乗ります。
代々木公園の参宮橋側の駐車場に車をとめます。 午前中ならだいたい空きがあります。 そこの駐車場からドックランは近いです。
公園内は自然が豊か。 夏は蝉がミンミンないていたね。 夏の草の中を走るのも楽しいけど、今は枯葉のじゅうたんです。 これも楽しいよね。
駐車場からは、こんな散歩道をワクワクしながら、ドックランに向かいます。 ワンコは落ち葉にクンクンしたり、飛び跳ねてみたり、落ち着きがありません。
ドッグランに入るには、初回だけ管理事務所に立ち寄り、登録が必要なようです。 詳しくは代々木公園のHPを見て下さいね。 ただし、ドックランは飼い主さんの自主管理ですので、だれでも入れる状態です。
ワンコは、ランのゲートを開けるときからもう興奮。 はやく中で遊びたい。もうリードを離した瞬間から、近くのワンコを誘って、走り出します。
口から泡が吹くまで遊びます。 たくさんのワンコとじゃれあって、時には怖気づいたり、おおはしゃぎしたりして、走り回ります。
30分もすると、かなりバテバテ。 私の側にきて、伏せしてハアハアしたりしてます。
もう、首の周りがビショビショに濡れてる。 遊んだワンコの唾液とかです。 もう充分満足した感じ。
「もう帰ろうか?」 私がそういうと、とても素直についてきます。 なんだか、気持ちが落ち着いた感じで、とても従順。
時には、全力で走らないとね! そうすれば、とても穏やかな気持ちになるよね。
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通勤で渋谷駅を乗り換えに使っています。
ある朝、ふっと気がついた。 井の頭線からJRへ向かう駅内の通路に岡本太郎さんの絵画が飾ってあること。 巨大な絵画。 すご~い。
この絵画は以前に汐留のイベントでも見たことがあるような記憶がある。 きっとあちこち展示で回っているんだね。
絵のこと、私にはよくわからないので、あまりコメントできないけど、人の想像力からこんなものが生まれてくる、こんなものを心で見れる、そのことはすごいことだと思う。
それから、とても庶民的な意見ですが、タダでこのような有名な作品を見れるってすごいことだ。 少し有名になると、拝観料をとるでしょ。 京都の仏像だって片っ端から拝観料をとられてしかも撮影禁止だし。
岡本太郎さんは、きっと自由な人だったんだね。 世間につるむこと、常識、そんなことが嫌いで、独自の作品を作ってきたのかも。
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お付き合いしている相手を信じていいかって迷うときってある。
私の以前の恋愛で、彼女を疑った事がありました。 なんか疑問を感じたんです。
「私はあなたにとってのなんなの?」 これは私がこんなに愛しているのに、愛しているって言っているのに、どうして答えをくれないのって気持ちです。
それに対しての彼女の答えは、「私は私なりに愛してる」でした。 私はますます疑心暗鬼になって、本当のところはどうなんだろうって迷いました。
私は答えが欲しくてもがいたけれど、果たして何が答えだったかしらん。 答えよりもただ単純に「私も愛しているわ」って言葉が欲しかっただけだったかもしれない。
恋人同士って互いに思ったら、彼と彼女の仲だったら、固い絆を感じて、お互いが寄り添って生きていくのが気持良いのに、なんかの拍子に呼吸が合わなくなったりすることもある。
原因はほんのちょっとした事だったりする。 ちょっとした誤解や説明不足、行き違いなど。 でも小さな裏切りが積み重なると、信じられなくなる。 不思議なことに、大きな裏切りなら、ちゃんと話し合って解決することがあるのに、小さな裏切りの積み重ねは、なかなか一掃されないような気がする。
二人の気持ちが迷路にはまったら、信じるってどんなことだか考えるといいかもしれない。
私は、信じるって、相手に身も心も任せてしまうことだと思う。 例えば空中ブランコ。
ブランコに足をかけ、宙ぶらりんで、彼女を受け止めようとしてる彼。 彼女はブランコに反動をつけ、タイミングよく手を離して、空中に飛び出る。 彼はそれを受け止める。
彼女の方は、彼なら大丈夫だと信じる。 彼を見つめて、彼の目の僅かな信号を読み取って、手を離せば、彼が捕まえてくれる。
彼の方は、どんなことがあっても、彼女を捕まえて、決して離さないって信じてる。 だから、飛び出る彼女の目を見つめて、「今だ!」って思う。
信じるって、空中ブランコなんだと思う。 手を離す勇気をくれるし、それで大丈夫だって自信もくれる。
相手が信じられる人か否かはあまり重要ではなく、むしろ勇気や自信が生まれるかどうかが大切な気がする。お互いに勇気も自信もあれば、きっと信頼で結ばれているってことだね。
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晩秋の東京、いよいよ紅葉が楽しめます。
首都圏には里山もありませんから、木々は公園のものとか街路樹のものとか。 本来の自然の姿ではありません。
でもそこで生きている木々そのものは、人工物ではなく、たくましく都会で生きる自然です。 人の手で移植されたかもしれないけれど、命は木々が自ら営んでいるものですね。
紅葉狩りにでかけてみるのも良いけれど、都内でも楽しめますよ。 私は東京西部に住んでいるので、代々木公園、砧公園、光が丘公園なんかがお気に入りです。
東京にはイチョウが多いんです。 東京のシンボルマークはイチョウの葉。 イチョウは大木になりますが、公園や街路樹でよく目にします。
この写真を撮ったのは昨日の日曜日、弱い雨の日でした。 薄暗い感じの日ですが、ここのイチョウ並木にくると、一転して明るく感じる風景でした。
イチョウが空気を黄金色にしている感じ。 夏が終わり、なにもかも満足して変容する姿がイチョウの紅葉かもしれません。
夏の燃えるような恋心、寒くなって冬眠状態に入る前に金色に変る。 落ち着いた穏やかな気持ちになって、木枯らしを迎え入れる。
樹の根元は金色のじゅうたんになります。上からライトを当てたみたいに明るくなります。
この上を踏みしめることが出来るなんて、まるで華やかな舞台にたつ事を許されたみたいに光栄な感じでしょ。
この金色の上、幼稚園の園児達が楽しそうに通るかもしれないし、恋人達が静かに歩いていくかもしれない。
そして金色の光を反射して、通り過ぎる人を祝福するみたいな明るさがある。
雨の日だったから、歩道に水溜りが出来てた。 ご覧のように、金色に反射していました。 金色の光の大サービスです。
錬金術とは、他の物質から金を精製すること。 科学が発達する前には「どうかしたら金は出来るかも」って考えて、試行錯誤で物質を混ぜたり、溶かしたり、いろいろな技を駆使して、錬金しようとしたんだと。 それが今の化学の基になってる。
イチョウは結構古い時代からある樹みたい。 当然、人類が、錬金術にはまった時代にも、いまと変らぬ姿で生きていて、人々の世界を眺めていたと思う。
イチョウは自分で金になれる。
人は自分で金になれないけど、ちょっとはイチョウみたいになれる。 それは感性を使うってこと。
恋したら、金みたいに光を放つこと出来るでしょ。(たぶん)
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セックスと恋愛は同じものではないけれど、とても重なっています。 多くの場合、恋愛しながら、セックスを経験して行きます。
一人でHするときだって、身体を反応させるのは好きな人への想いだったりするから、想う相手がいてこそのセックス。 セックスは奥深く必ずしも恋愛だけではないけれど。
ところで、「恋人とのセックスに満足していない。」 そんな話しはとても多い気がします。 私は男性だから、彼女がもしも満足していないってわかったらきっとショック。 きっと自信を失って萎えちゃう。
男性は一生懸命によいセックスをしたいと思ってる。 彼女に「あなたは最高! こんなすごいのはじめて。 もうたまんない」そう言って欲しいんだ(笑)
ところが男性のこの想い、ひとりよがりな妄想で終わってしまうことがあると思うよ。 女性に受け入れてもらっているから、彼女はちゃんと感じてくれてるみたいだから、それで良いと思ってる。 でも彼女の心の中では、あのひとのここが嫌だとか、ちょっと辛いとか、そんなふうに想っている事、ありえる事だと思うよ。
愛し合っていて、心が繋がっていても、女性から男性に「こうして欲しい」とか「これは嫌」って、はっきりと相手に伝えるのはとても難しいことみたい。 女性はほとんどの場合、受身の立場。 男性を受け入れてくれてるけど、それは必ずしも女性が気持ちよくて、欲しいかったからじゃないのだと思う。
男性のセックスには先入観があります。 私自身の経験でもそうです。 先入観を作るものは、AVなどの映像情報やエロ小説などの記事、それと自分のオナニーです。
AVやエロ小説は、明らかに男性が喜ぶような内容です。 好奇心をそそり、妄想を抱かせるもの。 例えば「いき地獄」って題名のAV。 女性が何度もいく。失神するくらい。 サンプルを観ると、電マを使ったり、目隠しさ、縛られて、複数の男性が女性をいたぶる。
こんなの現実的でないって、考えればわかることだけど、それでもある程度先入観は植えつけられているかも。 その先入観とは、「なんどもいかせてあげたい」って想い。そんな先入観があると、「いかなくたっていいよ、いちゃいちゃしていたいの」って女性が想っている状況であっても、男性はなんとかしようって独りよがりの努力をしちゃったりする。
酷いときは、女性が嫌なことに全然気がつかない鈍感というか、わがままというか、女性の気持ちよさを無視する人もいるみたい。
AVやエロ小説は、男性に買ってもらうためのフィクションなのに、それが良いと勘違いする。 私がときどき訪ねる動画サイトは、たくさんのAVが揃えてあって、ジャンルわけしてあります。 こんなジャンルです。
中だし、パイズリ、フェラチオ、ぶっかけ、コスプレ、オナニー、放尿、潮吹き、乱交、パイパン、はめ撮り、アナル、屋外露出、顔射、恥辱、ごっくん。
このなかに、女性が出来ればそんなプレーはお断りって行為、どんだけあるかな。 ほとんど全部だったりしませんか。 でも、AVを売る側の立場では、男性のニーズに見合う形でラインアップしているものです。
売れ筋NO1のAVは、「パーフェクトBODY中だし」ですって。 中だしは、子供作る目的以外ではしないのが基本的ルールですよね。
こんなふうに、男性の性は、現実的でない情報から、先入観を持ち、まちがった理解をしていることがあります。
でも恋愛中にそれを伝えることは難しいです。
私の以前の恋ですが、彼女は「フェラチオはしたくない」って私に言ました。これ勇気あると思います。 クンニしたらフェラされるのが当然だった私には目からウロコでした。
多くの女性は言いたくてもいえないって事があると思います。 でもちゃんとお互いに理解すれば、すてきなセックスが出来ます。
だから、言いたいけどいえない事、私のブログで書けたらいいなと思っています。 私が女性の言いたいことを代筆したり、男の気持ちを説明できたらいいなと思っています。
女性友達から聞いた話、自分の経験、そんなことを書いてみますが、ネタやリクエストも募集します。 メールでお知らせ下さい。
脱線しますが、AVを品定めしていて、私がそそられたものは;
「竿美人 こんなに可愛いのに、彼女達オチンポついているんです」
うっ!観てみたい(笑)
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仲良く遊んでいたのに、ちょっと乱暴されて、尻尾が垂れちゃった。 なんだか凹むよ。
ワンコだったらすぐに元気は戻るけど、恋愛の場合は思わぬ展開に進むなることもある。 そのつもりはないのだけれど、言い争ったり、意地を張ったり。 こじれてしまって恋愛がだいなしになっちゃったりして。 不響和音が、気持ちを波立たせちゃったせいかも。
最初は何もなかったけども、仲良しになれば色々な物事を共有し始める。 こころの中にある二人の持ち物も増えてくる。 二人が良いと思ったものを、お互いが心の中に持って、一緒に歩き始める。
恋愛は一緒に歩くことに譬えられるかも。 一人じゃ面白くもないけど、二人一緒なら勇気もでるから、励ましあって、辛い事があっても乗り越えちゃう。 お互いに「大丈夫?」って相手のことを気遣いながら。
長く歩いていると、相手の人の持ち物よくみると、あれれ何じゃこりゃって思うこともありえる。
「なんでそんなもの持ってるのよ、捨てちゃいなよ、重たいから歩くのにじゃまっけだよ」
「何でそんなこというの? これ最初からずっと持ってたよ、大事なものだよ。 捨てない!」
こんな話しが多くなったら、気持ちが奏でる和音のここちよさを思い出したらどうだろう。 最初の二人には気持ちの和音しかなくて、それから仲良しになって、色々な物事を共有して、持ち物も増えてきた。
相手の持ち物がなんだか、だんだんとわかってくると、それは違うよって思うことがあるけども、それでももともとは、気持ちが和音を奏でているから、一緒に歩こうって決めたんだよ。
歩く時は、励ましあって、相手を気遣って、二人で行けば元気が出て、困難も二人で乗り切れるんだった。
不響和音が聞こえたら、どこのキーを押していないのか、どこのキーを押し間違えたのか、二人で指先を見つめて考えてみようよ。
いい音が聞こえたら、きっと二人は見詰め合って笑うはず。
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映画のタイタニックは、恋愛の美味しいところをたくさん盛り込んだ名作だと思います。
ご覧になった方も多いと思いますが、短い言葉で印象を言うと、「様々な困難を乗り越えて、貫いた愛」って感じでしょうか。
物語の各場面で、様々なメッセージが盛り込まれていると思います。 私の気がついたことを少しだけ書いてみます。
出会いの場面は、窮屈な貴族の家に嫁ぐことを悲観して、海に飛び込もうとする彼女を、彼が助けるシーンです。 お互いの社会的な立場は大きなギャップがあります。 彼女は貴族の夫の婚約者。 彼は貧乏な画家。
その後、彼女も彼も、お互いに関心を持ち始めます。 そして、人目を避けてのお付き合いが始まり、だんだん恋が深まってくる。
最初のみどころ。
彼女の恋の始まりは、婚約者への不満、結婚の窮屈さから抜け出す想いからだった。 結婚は客観的にみて豊かなもの。夫になる人は大金持ち。 でもこころから好きになれない。 彼女は自殺しようとまでしたけど、そこに彼が現れた。 彼は彼女を救ってくれた。
私、この映画の展開で、彼女の現状から逃れたい気持ちから恋愛が発展したってところが好きです。 映画ではなく、現実の恋愛を思ってみると、このような現状脱却型の恋愛は多くありませんか。
彼への不満から新しい恋をはじめる。 結婚への不満から新しい恋をはじめる。 こんなふうに書くと、きっかけが不純って思う人もいるかもしれないけれど、現実には不満が恋のきっかけだったりする。 そのことを堂々と認めているこの映画は、いいなあと思います。
そして、もう一つの意味は、恋は社会的な立場や、豊かさで計れるものでは無いという点です。 これはあたりまえのことですね。
第2のみどころ。 彼女が救命ボートで脱出するシーン。
恋する彼と運命をともにしたい思いで、彼女は自分だけの脱出を拒みます。 このとき、彼も、そのライバルの婚約者の夫も、ともに彼女の命を救いたい想いで、彼女がボートで脱出するように説得します。 彼も、婚約者も、立場はライバルですが、彼女を救いたい想いは一緒です。 ところが彼女は瀬戸際になって、救命ボートを飛び出し、沈没しそうな本船に乗り移ってしまいます。
ここ、私がいちばん泣いてしまうシーンです。 勇気を出して踏み出すこと。 自分の気持ちに従って、その通りに行動すること、感動します。 恋の気持ちの為には命も顧みない姿勢にジーンときちゃう。
実際の恋愛では、こんなような捨て身の恋は希少だと思います。 自分の身がかわいいから、自分が傷つかないために、恋には駆け引きがあったり、利害関係を争ったりって事が起こってしまいます。 なにもかも捨てて、気持ちに従うこと、ここがこの映画のハイライトではないかな。
第3のみどころ、一人生き残った彼女が、婚約者から送られた宝石を海にすてるシーン。
映画の最後の場面では、年老いた彼女が自分の恋の物語を人々に語ります。 その後、彼女はとても価値の高い贈り物の宝石を海に投げいれます。 宝石は海に沈んで行きます。
あれほど彼と命がけの恋をしたはずなのに、彼女は婚約者の方からもらった宝石を手放しませんでした。 それは宝石がとてつもなく高価であったからだと思います。 どんな経緯があれ、送り主とは決別した関係であったけど、彼女はいざとなったら自分を助けるだろう宝石を手放しませんでした。
私はこのことは、とても現実的だと思うし、彼女の賢明な態度が好きです。 つまり役に立つならもらっておくってこと。 恋は奇麗事ではないのだから、生きていくのに必要なところは手放さない。 それで良いのだと思う。
ところが彼女は老いて、これまで黙っていた恋の話を語り継いだら、もうその宝石を捨ててしまいます。
この意味はいろいろ考えられます。 私の考えは...........機会があったら、私の恋する人だけに、話してみたいと思います。
写真は、タイの王宮にあった壁画から ↓
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恋愛している相手のこと、そう思うよね。
例えば奇跡は、美しい花を見るとそう思う。 どうしてそんな完璧な姿と形なの、そしてあり得ないような色。
さらにすごいのは、生きていて、毎年ちゃんと生まれてくるってこと。 そんなとき、奇跡だと感じる。
恋人にも、同じような奇跡は感じるでしょ。 どうして、そんなに完璧に魅力的なのだろう。 私と相手が愛し合っていることは奇跡だ。
奇跡は、ありえなそうなことが、現実にあるときに感じることかな。
本当は宗教の文脈で使うのが正しい奇跡かもしれないけど、愛し合う二人が、奇跡を感じる方が、宗教の奇跡よりも説得力がある。
いくらキリストが復活しようとも、それは物語に思えちゃう。 奇跡は、どうしてこんなに幸せなんだろう、信じられないって思った時に日常の中で起きている。
恋愛の相手を運命の人だと感じるときはあるよね。
出会いはタイミングと意思かもしれない。
そうであってもその結果、相手の人との運命を感じるのは、その出会いが、圧倒的なものだからじゃないかな。
魅力とか、好きだからとか、そんな言葉では物足りない。 色々考えたり検討したり、その結果の出会いであっても、なにか出会いに特別なものを感じる。
だから、運命の出会い。
でも本当は、運命は本人にはわからないものかも。
映画タイタニックの場合、私は観てる立場で、あのカップルは運命の二人だと感じますが、本人達はただ一生懸命なだけかも。
映画「ある愛の詩」では、彼が白血病で亡くなり、彼女は名台詞を言います。「愛とは後悔しない事」
この台詞、考えるととても深い。 それは置いておいて、あのカップルは誰もが運命の出会いだと思うでしょ。 けど本人達はただ一生懸命なだけかも。
本当のところは、第三者がみて言えることが運命だけど、それでも恋愛したら運命だと感じることがあるよね。
だって、最初からそうあるべきだって感じるもの。 会うべくして会った。 そんな出会いだと思えるから運命の人だよね。
運命の人と出会い、二人が幸せなのは奇跡です。
二人でおいしいラーメンを食べると、とても美味しい。 これも奇跡です。
運命も、奇跡もいつもの日常の中にあるものかもよ。
写真は奇跡のワンコかつ運命のワンコです。
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恋愛の満足度を無理やり計ってみます。
満足度100%の恋愛とは:
小さな小さな世界があって、そこには8人しか住んでいないとします。
A家族は両親と男女の子供がふたり。 B家族にも両親と男女の子供がふたり。
子供達は思春期になると恋をしてカップルになります。生まれた頃から相手は決まっています。 もう選択肢のない定めのようなもので、互いの両親も本人もその定めが恋愛だと信じています。
一生涯迷いの生まれない恋愛。 不満の余地はあり得ないので、これを100%の恋愛と考えてみます。
でも現実にはこんなことありえません。 現実の恋愛は自由な選択肢があるがゆえに、恋愛です。
それでも、結婚式の誓いの言葉のように、いかなる時も互いに慈しみあい、尊敬しあい、愛し合い、決して他の人を想ったりしないって、そんな希少な人もなかにはいらっしゃるのかもしれません。
満足度60%未満の恋愛とは:
セックスは、とても興味深いものですよね。
もしも誰も見ていない部屋、例えば出張中のホテルの部屋にセックスの写真が置いてあったとします。 例えば「私たちの恥ずかしいセックスアルバム」なんて写真集が何気にあったら、絶対に見てみたくなりますよね。
誰でもセックスに興味があり、経験してみたいもの。 恋愛中だってそう。
そうは言っても、セックスはとても奥深く、センシティブなので、恋愛していたって、必ずしも好奇心が満たされているわけではありません。 「こんなこともしてみたいけど、相手がしてくれない、許してくれない、してみたいのに~」そんな想いってあるよね。 色々妄想してみたりして。
でも、その妄想、実際に実行してみると、しらけちゃうことも多いと思う。 やってみると、そんなに興奮しないし、たいしたことない。
そのときは「な~んだ」と思って、その想いをスルーしちゃえばよいのだけど、興味や妄想をあきらめることが出来ず、きっともっとすてきなセックスがあるに違いないと思って、いつまでも喉が渇いてしまっていたら、きっとその恋愛は、満足度が60%以下です。
もちろん、セックスにタブーはなく、例えばSMだって、本当に愛情深いことはあると思うので、あくまでもセックス中心で、気持ち的に満足できていないってところがポイントです。
満足度60%以上の恋愛とは:
セックスだけでない。 定めではない。 自由にお互いの意思で関係を維持している恋愛で、互いに慈しんで、励ましあって、笑ったり、泣いたり、一緒に生きているって事が嬉しい状態ではないかな。
ところでこの満足度、他人ではなく、自分で自分を計ることによって決まりますね。
下の写真は、ラブホで撮ったAVのワンシーン。 満足度5%くらいでした。
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恋愛は不思議なもの。
私はよくそう思っています。 不思議とは、積極的な意味で、考えても答えが出ないことを、考えないって事です。
恋愛って誰から教わったわけでも、そうすると何か得するわけでもないけれど、だれもが自然に恋愛をしてみてるでしょ。
子供の頃は、異性の子と仲良くしたら冷やかされた。 周りの子供達は、羨ましいとおもって、興味津々で、冷やかしつつも、いつかは自分もって憧れたんだと思う。
恋愛の種のようなものは、はじめから気持ちの中にあって、だんだん育っていったんじゃないかな。
はじめてお付き合いをしたことの事、よく覚えています。 一緒に歩いて、おしゃべりすることがとても楽しかった。 それから、キスを経験して、セックスを経験して、恋愛の色々な要素を学んで、大人になってきたわけです。
その恋愛って何だろう? 答えは未だありません。
時には思いっきり凹んだりしながら、でも恋愛はいつでも、絶え間なく続けて来ました。 恋愛の気持ちは、どんなにがっかりするような失恋を経験しても、ちゃんと季節が巡るように、心から芽をだして、そしてご縁で結ばれて、繰り返されます。
これって、必要なことだから、そうなっているんじゃないかな。
でも、それが業だからとか、性だからって意味じゃなくて、生物的な欲求とかでもなくて、上手く表現できないけど、幸せを目的にした、生き方の必須要素みたいな、そんな形而上の方向性ではないかとちょっと思ったりする。
不思議なことだから、答えを見つけようとは思わないけど、経験から、恋愛にはとてもすてきな作用が山のようにあると思います。
その一つ目が、「一人で出来なくても二人なら出来る」って事。
日常の中で、一人では勇気が出ないけど、二人ならやってみようかなってことあるでしょ。 幼稚園の子供達だって、手を繋いだらなんだか明るく元気が出てくるじゃないですか。
映画タイタニックで、彼と彼女は、何とか困難を乗り越えて、限界まで生き残るでしょ。 ありゃ一人じゃ元気なくして、早くから沈んだかもしれない。 二人だから頑張ったんだよ。
二人なら、もう少し前進できる。 時には奇跡も起せる。 これって、恋愛のすてきなところの一つ。
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「小学校卒業のお祝いにハワイに連れて行って!」
女房と結託して、私にプレッシャーをかける息子。
私は煮え切らない。ハワイは美しいらしいけれども、贅沢すぎる注文だと感じました。
そこで、良い弁解を思いつき、息子に言った。
「君はワンコを飼うか、ハワイにするかどちらか選びなさい。 ワンコなら君の兄弟になると思うけど、それでもハワイかな? どちらでもいいよ。 君に兄弟がずっといてくれるのと、ちゃちゃっと格安の旅行ツアーでハワイに行って、ちょっぴり楽しい思い出が出来るのと、どちらを選ぶかな?」
息子は一週間くらい悩んで、ワンコを選んだ。最初からそうなるだろうって思ったけど。しめしめ。
それからは、犬種をあれこれ注文された。意見はなかなか合わない。
そこで私は再び条件をつけた。
「カタログで選ぶようなワンコ選びはダメ。 もうペットショップでは買わない。 誰か譲ってくれる人を探して、ご縁のある健康なワンコを探そう」
これは不評だった。「お金をケチってる」って批判された。(確かにお金はケチった)
保健所や里親募集のサイトを調べて連絡してみると、何回目かに、なんとなく良いかもって感じるワンコにめぐり合えた。
ちょっと遠方のボランティアの方だった。 車で片道3時間はかかる。 でも直感で、このワンコにしようと決意を固める。
ボランティアの方と連絡をとりながら、必要なケージを用意して、面接に向かう。
面接のとき、抱っこしてみると、私の顔を舐めた。家族に目で、良いよねって合図を送る。私は「ぜひ譲って下さい」と言った。
その日は今年の2月中旬です。その時点で推定3ヶ月でしたから、おそらく12月生まれです。
頂いたときは黒柴と、柴のミックスとの説明を受けましたが、成長とともに、予想外にも洋犬の姿に変ってきました。 たぶんシェパードが入っています。
もうすぐ成犬になります。 名前は「春」です。
たびたび日記には登場すると思います。 どうぞよろしく。
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